凡人美大生の念慮

昔考えた事への感想

電柱、電線など意匠的に要らないもの呼ばわりされるものは本当に要らないものか 2021/1/24

電柱、電線など意匠的に要らないもの呼ばわりされるものは本当に要らないものか

 

 

 電線なんかは空の景観を邪魔するものとして標的にされやすい。とはいっても街の景観として慣れ親しんでる人が多いことも確かだし、電柱とロードサイド店舗の看板にふるさとを感じる人もいるだろう。現に俺も空へ垂直に伸びる電柱と町の中を駆け巡る電線の景色は結構好きだし。

 下手なことを言うと選民思想的に捉えるられかねないのが景観の美だから、街づくりの時にはガチガチのデザインコードをつくる。もしくは最悪ディベロッパーが触れない手もある、まあ逃げと言われても仕方ないけどね。

創作の価値観 2021/3/2

時代と建築その他アートやデザインの価値観ってなんだ

 

 時代と建築その他アートやデザインの価値観ってなんだろ

 

 いつから建築はコンセプトが必要になった?

 

 豊かな暮らしを経済以外で語れるのは哲学と倫理だけか?

 

 意匠とシステムの乖離はこじつけしかない?

 

 科学が自転車ならデザインは補助輪 アートはスニーカーじゃね

 

 連続性って途切れてるものがつながって初めて連続性っていえるよね。全部つながってたらただの1つの物だし全くつながりが無いならaと①みたいな

 

 住宅に関してはガラスってデメリット多いよねプライバシー防犯とか窓空の明かりで部屋が実質的に暗く感じるとか。こっちは意見として弱いけども

 

↑プライバシーの話だけど道側とか他の人の敷地みたく「自分の敷地以外から覗き込まれる行為」が気持ち悪くて、自分の敷地から自分の家が見えるのは問題ないってのが日本家屋の歴史だよね。塀とか庭とかって。

 

 

 

 おそらく創作の軸が無くて何を作ったらいいかわかんなかったんだろうな。

二年前の箇条書きを、とりあえず一個ずつ見てみることにする。

 

[時代と建築その他アートやデザインの価値観ってなんだろ]

 各時代における創作の価値観ってとこか?

 おそらく全部に言えるのが、アレントの世界の物を作りだすこと自体の価値かなあ。

 絵画、彫刻、写真、プロダクト、建築のいずれも時代ごとの思想や風俗、はたまた技術を物体として残す事になる、証明のための物化。

 また世界の一部を作るのは、生物としての生命活動ではなく人間の文化を形作り、世界の中で人間を繋ぐメディウムとして物化があるってところか。人間の条件が頭から抜けてるな。

 

 [いつから建築はコンセプトが必要になった?]

  洞窟以外の空間でも屋根があれば雨や日差しをしのぐことができるって、結構なコンセプトだとおもうから建築の最初期からだろうし、建築書も紀元前15世紀にウィトルウィウスが出してっからな。信用されてない建築十書とはいえ。

 

 [豊かな暮らしを経済以外で語れるのは哲学と倫理だけか?]

 「豊かな」の範囲がデカすぎる。資本と学問を同類にするんじゃない。それにワークライフバランスや好奇心、トレーニングみたいな向上心だってあるだろ。

 

 [意匠とシステムの乖離はこじつけしかない?]

 おそらくソフトとハードの区別がついてなかったんだろうな。空間でして欲しいことがソフト。建築物の形態によって答えられるものがハード。その場所に設計を行う理由が需要と思想の混合って分けていればこじつけとは思わないんじゃないか?

 

 [科学が自転車ならデザインは補助輪 アートはスニーカーじゃね]

 全く別の切り口って言いたいんだろうけど、先端表現はいつだって新しい思想と新しい科学によって切り開かれてるのを考えると間違った考えともいえるな。

 

 [連続性って途切れてるものがつながって初めて連続性っていえるよね。全部つながってたらただの1つの物だし全くつながりが無いならaと①みたいな]

 連続性の解釈の違いだな。aと①が全くの平行線であるか、互いの繋がりが無い地点での比較であれば繋がりは無いといえる。それはわかんらんでもない。

 ただ、視野を広げちゃえば終わりのない文化史の線における集まった断片の一つとも言えてしまうから、ある意味連続性のないものってこの世にないと思う。

 ラインズ読み返してみるか。

 

 [住宅に関してはガラスってデメリット多いよねプライバシー防犯とか窓空の明かりで部屋が実質的に暗く感じるとか。こっちは意見として弱いけども]

 これは今でもそう思うところがある。住宅においての透明性や開かれ方、地域性の話なんて腐る程されてるけど一般需要は少ないんだよね。地域性の話なんてその辺の人が聞いても一定の理解は示してくれるような内容だけど「じゃあ私の家をその場にします」なんて人はほんの一握りだろう。

 たしかに日本でのプライバシー保護のピークは一端超えたと思うけど、やっぱり自分の家は全て自分の物であって欲しいと思うし、暮らし方の提案としてハウスメーカーの外部と遮断された機密性を保った生活様式を魅力的に思う人が多すぎるからね。

 みんなが家の中に公共を引き込まざるざるおえない状況になるか、出勤タイプの働き方が激減でもしない限りは、ガラスが前面にでた住宅が街に並ぶなんて状況ないだろうな。

 

[↑プライバシーの話だけど道側とか他の人の敷地みたく「自分の敷地以外から覗き込まれる行為」が気持ち悪くて、自分の敷地から自分の家が見えるのは問題ないってのが日本家屋の歴史だよね。塀とか庭とかって。]

 こればかりはお店やってる人でもない限り気持ち悪さはどうしようもないね。仕方ないね。

人を殺すときの考え方 2021/3/26

人を殺すときの考え方

①感情的にする
②倫理的に間違ってるからしない
③倫理的に間違ってるけど自分に利or大儀があるからする
④自己の倫理的に別におかしくないからする(倫理的思考がない)

どれが一番ヤバい?

 

こいつ何があったん?

 2年前っていうと、おそらく老人ホームでの事件や北海道のイジメでの事件なんかで感情が揺さぶられてたのかな。

 何にしても論点がヤバイなのがなんとも言えない稚拙さを感じる。

 とはいっても分類以上の話だと、ライン超えの暴力に晒されたことのない自分には提示できる回答が無いからね。

 うーん成長してないな。